忌野清志郎をお前に2

発売当時、そのセンセーショナルな内容と
それに起因する発売中止で話題を集めた
RCサクセションのカバーズ。

カバーズ.jpg

これはファンの間でも賛否両論のアルバムだった。
で、俺はというと否だった。

当時色んなジャンルや思想の音楽を聞いていた俺は
キヨシローにはこういった
政治的な事を唄ってほしくはなかった。
こういったジャンルは他の方に任せて
キヨシローは常にイッツ・オンリー・ロックン・ロール
スイートソウル・ミュージック、ラブソング
独自の日本語ブルースを突き詰めて欲しかった。
俺はキヨシローの愛しあってるかい!
がききたいだけだった。

更にこのアルバムは
発売以前よりおこっていたメンバー間の亀裂も決定的にし
RCサクセションがなくなるキッカケのアルバムともいわれる。
クレジットこそ RCサクセション となっていたものの
実質的には キヨシローのソロアルバム 的なものであった。

後年、このアルバムが生まれるキッカケとなった話を知った。
キヨシローの母の遺品の中に、戦争に対する恨みつらみ
やりきれぬ想いを綴った日記を発見した事だという。

しかし当時そんな事はつゆ知らず、
政治的な詩をうたうキヨシローに見切りをつけ
その後に続くタイマーズ、末期のRCサクセションを
みることもきくことも無くなっていった。

時は流れ、俺自身の強いこだわりもなくなり
改めて聴いてみて、非常に後悔した。
素晴らしい!素晴らしすぎる!
原曲は勿論ロックの名曲揃いで
そこにキヨシローのシャウトが重なるのである。
これは間違いなくRHAPSODY
シングルマンと共の名盤であった。

しかしその時にはタイマーズはすでになく、
RCも実質解散状態
若さゆえの強いこだわりにより、
俺はその数年間
これらの素晴らしいバンドを
リアルタイムで体験できるチャンンスを棒に振った。

その後色んなバンドを作っては壊しを繰り返しながら
ソロ活動や役者などを続けたキヨシローだが
2006年、自身のサイト上に喉頭癌であることを公表する。
だが俺は信じていた

キヨシローは絶対に負けない

だから2008年に武道館で復活祭を開催した時も
奇跡の復活とは思わなかった。

だってあのキヨシローだぞ!
あたりまえだろ!!


しかしその半年後、左腸骨への癌の転移が発表され
再びライブ活動の休止を余儀なくされる。

2009年5月
キヨシローは我々に素晴らしい楽曲と生き様を残し
天国へと旅立っていった。

2011年
あの大震災が起こり、キヨシローがカバーズでうたっていた事が
現実となって起こる。
俺の母方の親戚一同も、避難区域の福島の楢葉町に住んでいて、
全員が被災者となった。
数日間全く連絡が取れない親戚もいて
非常に心配していたのだが、幸いにも死者はいなかった。
しかし親戚全員が住む家を失い、避難所生活を余儀なくされた。
当時90歳を超えていた祖母は、さすがに避難所生活はきついので
横浜の我が家で引き取った。
そして1年後、生まれ育った故郷福島に帰り
介護施設で3年を過ごし、96歳でその生涯を終えた。

天国のキヨシローはあの地獄絵図を
どんな想いで見ていたのだろうか。
今となってはきくこともできず、
知る由もない。


追記
改めて読み返してみて、誤解を招きそうな部分もあるので
本当は書きたくないのだが
自身のスタンスを書いてみる。

俺はバカなので電力の何%が原子力で、
それが無くても電気は足りてるとか
そういう難しい部分は分からないし、
そういう視点の話ではないという事を念頭に・・

俺自身は何が何でも原発絶対反対!
という考えはない。
実際はムリなのだろうが
絶対に壊れない、事故が起こらない
そういう大前提でならOK・・・・という所である。

何故ならその大前提のもとなら
原発はその地に、大いなる福音をもたらしていたから
という事である。
原発は雇用をもたらし、何にもない田舎に活気をもたらし
街を豊かにした・・・というのも紛れもない事実であるし
親戚含め近隣住人の多くは、直接的 間接的に
原発に何らかの関係を持つ仕事についていた。

実際の被災者である親戚の何人かと話していても
色んな感情はあると思うが、原発のせいでこうなった!とか
原発さえなければ・・・・といった発言は聞かれなかった。
(身内に死者が出なかった事や
話した人数が少ないという部分はあると思うが)

なんかドンドンヤバイ話になりそうだし
それは本意ではないので
ぶつ切り感がハンパないがこのへんで。。。

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